第4回「小さな旅のおとも」
またまた素朴な風合いで可愛らしいものを見つけてしまった…。
見て頂けないでしょうか、この可愛さ。
このかたち。この雰囲気。どうでしょうか。
出会った際、ぱっと見て「かわいい!」と飛びついたのですが、
角が柔らかな丸みを帯びていたり、素朴な雰囲気の焼き物に薄茶
色の釉薬がかかっていたり、謎のワンポイントマークまでもが
可愛らしい…。ぐう、かわいい…。
(こちらは私的なかわいいポイントになります。ご了承ください。)
さて、どこか懐かしい雰囲気も漂わせるこの小さな角瓶。
きみは一体何者だろう…
可愛らしいが謎の多いあの子を頭の片隅において、お仕事
に取り組むこと数日。
調査を行っていたところ正体の糸口を偶然見つけ、慌てて
その足跡を追いました。
こちらは「汽車茶瓶」または「汽車士瓶」と呼ばれるもの。
汽車?そう、今でも『お茶』と書かれた看板の下、駅のホーム
でも販売されていますよね。
これは長旅や駅弁に欠かせないお茶の容器だったのです。
むかし、明治5年日本で初めての鉄道が開通しました。
それを追うようにして明治10年頃より駅弁が販売され、
明治22年頃静岡県の駅弁屋さんで容器に入れてお茶を
販売したこと。それが駅舎でのお茶販売のはじまりだとか。
長旅の際には“おかわり”の形で中身のお茶を途中で入れ替えること
ができ、中身のお茶のみの販売もされていたそうです。
この汽車茶瓶、お友達の中には“飲んだ後は座席の下へ”と注意書きが
されているものもあります。
これは当時車内でお茶を飲んだ後に汽車の窓よりお外へ放る人がいた
ようでこのような注意書きがされたとのことです。
(夏目漱石の小説にも車窓よりお弁当箱を放り投げる描写がされて
いますが当時はそうだったのでしょうか…驚きです。)
その後、ガラス瓶を採用した時も一時期はありましたが様々な意見が
交わされこの焼き物の形に戻ったようです。
他にも販売所の名前を彫られたものやご当地グッズのように名産・名所
をモチーフに瓶を作ってみたり…と、小さな歴史を歩みながら、現在
採用されているペットボトルの登場まで広く使い慕われていたのです。
「ふむふむ、つまりこの謎のワンポイントマークは鉄道の動輪マーク
だったのかぁ…」なんて呟きながら小さなつまみを持ち“ひょい”と
持ち上げました。
長旅の途中、汽車に揺られながらこんな焼き物にお茶を入れて
飲んでいたなんて素敵だよなあ…。
そしてこれが今にも残っているのは使い捨てをしてもいい容器を
何かの理由で大事に持ち帰り、大切にされていた人たちがいたから。
そう思うとなんだかじんわりと心が温かくなるような。
そんなある日の午後でした。
と、いうことで今回はここまで。
「映えない話」お付き合いいただきありがとうございました。
miu